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『宇宙の戦士』について

『宇宙の戦士』がアメリカで出版されたのは1959年。日本版が出版されたのは1967年。いまから半世紀近くまえのことでした。

本国でも日本でも、この作品の刊行後は、作者の右寄り(に見える)主張に関して議論が起きました。旧訳の矢野徹さんのあとがきにも、そのあたりの事情がくわしく書かれています。

しかし、同時期にあの『異星の客』が書かれていたことを考えれば、ハインライン自身がこの作品で単純に右とか左とかの主張を繰り広げているとは思えません。

もちろん戦争を賛美することが目的ではないし、軍国主義を賛美することが目的でもない。将軍からコックから従軍牧師まで、あらゆる要員が最前線で戦闘に加わることを当然とみなし、それが実現できなかった歴史上のすべての軍隊を失敗作と断じていることから考えて、軍隊を賛美しているという意見も的外れでしょう。

逆に、このような極端な設定を利用することで、戦争の悲惨さや軍隊の非人道性を伝えているという主張も、少し考えすぎのように思われます。

「過激な」作品という一般的なイメージとは裏腹に、作者のバランス感覚がよく伝わってくる作品でもあります。

機動歩兵は人類を守るという使命をおびて戦っていますが、同時に、自分たちが「大量殺戮者(slaugheter)」であるという自覚ももっています。

主人公が実は**人種であるという点を考えれば、人種差別的な意図がなかったのも明白でしょう(時代背景的に、共産主義に対する危機感は強かったように思えますが)。

ベトナム戦争以降の戦争を知っている者にとって、ここで描かれる戦闘はお気楽すぎてファンタジイに近く、あらゆる描写が軽い。そもそも、まともな戦闘シーンと言えるのが第一章くらいしかありません。軍隊経験のあるハインラインなら、その気になれば、よりリアルな戦闘を描くこともできたでしょう。とすれば、作者の意図は別にあったはず。

『宇宙の戦士』は、もともとジュブナイル(いまで言うヤングアダルト)小説として書かれました。雑誌F&SFに掲載された中篇版では、作者の説教(に見える)部分がごっそり抜け落ちていて、純粋にジョニーという兵士の成長物語に焦点が絞られています。

裕福な実業家の御曹司で、およそ頭脳明晰とはいえず、社会や人生についてまともに考えたこともなく、漫然と日々を過ごしていたジョニー。地球連邦軍に入隊することになったのも、好きな女の子のまえでいいかっこをしたかったから。

中篇版では、そんなふうに流されるだけだった若者が、軍隊で厳しい訓練を受けるうちに人として成長し、ついには自分の意志で士官候補生学校への入学を決めるところで、ほぼ物語は終わっています。比べてみると、長篇版のほうは、その成長物語に作者のさまざまな主張が加わっていることで、少しテーマがぼけてしまった印象があります。

本書の最大の目的は、若者にむかって、社会に対して果たすべき責任と義務について語りかけることだったのではないでしょうか。そのための舞台として、ハインラインにとっては、新兵訓練の場を使うのが最適だったのではないかと思われます。

もちろん、作品の解釈は人それぞれで、これが正解というのはありません。いずれにせよ、本書が、読者の心にいろいろな考えを呼び起こす強い力をもっているのはたしかでしょう。

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